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2012.03.17 (Sat)

生涯独身だった伯父の死

みなさん 本当に 本当にご無沙汰してます
お元気ですか?

主人の手伝いで英文経理をしていて
その年次決算のために
ブログの更新をご無沙汰してしまっていて
そろそろ出来るかな~~と思っていた矢先

日本の妹からおじちゃんが亡くなった!
と電話があったのは3月2日の朝でした

地方にいた私は、即、コロンボへ戻り、翌日の夜の便で日本へ
その足で、叔父の住まいへ直行しました

私たちの父の弟にあたる叔父は、生涯独身を通した人です
若い時から病気で悩まされていたことが原因だったようです

奥さんも子供もいない叔父に、私たちの母が
「プライベートなことには干渉しないから、そばに来てよ
何かの時は、そばに居てくれれば面倒をみてあげられるから」と言って
自分達の住まいの隣に引っ越してきてもらって30年

その母の方が、23年も前に先にこの世を後にしてしまい
それでも、父や私たちの住む隣りで
「凛として独り身を通し、生き続けていました
 食事も掃除も洗濯もすべて叔父自身がやっていました
 ある時期までは・・・」

7年前のことになりますが、ある日、私は、叔父に呼ばれました

唯一の男兄弟である父の子ども
その3姉妹の長女と言う理由からでしょうか
私を呼んで、自分がこの世を去った時に後始末を頼みたいと
改まった口調で相談してきてくれました
その時、叔父は、まだ、68歳でした

私たち夫婦に、自分の葬儀、埋葬、この部屋の明け渡し費用等のために
ある程度の金額を預けたいと言うのです

亡くなると、自分名義の預貯金からお金を
引き出すことは出来なくなるだろうから・・・
事前に私たちに預けておきたいといいます

主人と相談し、まだ、元気だった父、私の妹とその連れ会い
全員が署名をする覚書を作って、間違いなくお預かりすることを約束しました

そして、その8ヶ月後、私の父が突然、心筋梗塞でこの世を去ると
もうひとつ、私に、自分が亡くなった時に残った預貯金は、
甥や姪に均等に分けてやってもらいたいんだと言ってきました

そのために、私が困らないように、伯父の戸籍簿謄本を叔父の祖父にまで
遡って用意し、叔父の兄弟姉妹、それぞれの戸籍簿謄本も用意してあるから
と見せられました

叔父の死の連絡を受けた私は、
その叔父の思いをそのままに、親戚縁者に伝えていき
形にするお役をするために日本へ帰国するんだと
頭の中は、いっぱいでした

私には二人の妹がいます
すぐ下の妹夫婦と子供たちの5人は
私が主人と結婚を決めた時
一人残る私の父を心配しないように
私が、新しい人生を歩みやすいように
父と同居するため引越をしてきてくれました

その時から、妹夫婦は、夫のお母さん、
私の父、そして叔父の3人の高齢者の面倒をみてくれるようになりました
あれから、約12年・・・・

すでに脳梗塞から介護が必要だったお姑さんの介護と
それぞれ一人で何でもしていたとはいえ、高齢者として目の話せない父と叔父
特に父を見送ってからのこの数年は、叔父が高齢者だから起こすさまざまな
ハプニングに対応してきてくれました

特に晩年、なかなか眠れない叔父は、睡眠薬を処方していただいたようで
薬と晩酌で、フラフラするようになり、夜、大きな音をたてて尻もちをついたり
そのたびに夜中、叔父の部屋に飛び込んでは様子をみてくれたりしたようです

一番心配したのは、火の始末です
お鍋をのせたまま空だきしてしまったことも1度や2度ではなかったからです

お下の始末や食事の介護を必要とする姑さんをかかえている妹は
叔父にヘルパーさんに入っていただくようお願いしましたが、
叔父は、自分の部屋を姪の私たちが掃除するのを嫌がるほど
何でもしてきた人です
ヘルパーさんを受け入れるのにも、時間がかかりました
私も、何度か叔父にお願いに行きました

でも、結局、叔父がそれを受け入れる決意をしてくれたのは、
ある晩、ふらついて、窓ガラスを突き破って倒れたことがきっかけになりました
奇跡的にも、カーテンと共に突き破ったので、叔父は軽傷で済みましたが
その姿を見た時、妹は腰が抜けて立ち上がれなかったと言います

結果、何とか週に1回、掃除をお願いすることが出来るようになり
お食事も夕飯を運んでいただくことを受け入れてくれるように
なっていきまいした

もちろん、老人ホームに入ることも相談しました
叔父にとって、とってもいい条件のホームがみつかっても
叔父は、どうしても、入る気持ちにはなれなかったようです

75年間の人生の内、5年間あまり、まったく体も頭も
自分の思ったように動かなくなっていく自分に
一番戸惑っていたのは、叔父だったのかもしれません

生涯独り身だった叔父でしたが、
野辺の送りには、甥や姪、その連れ会いや子どもたちが集まりました
叔父の希望通り、身内のみで見送りをさせていただきました
姑と叔父と二人の介護をかけ持って
一番苦労したであろう妹が
一番大粒の涙を流して叔父を見送っていました
とっても温かい見送りでした

人は、生まれた時にも老いる時にも
誰かしらのお世話になるものだと言うことを
私は、改めて学びました

誰しも、迷惑をかけずに老いて死を迎えたいと思います
私も同じです

でも、赤ちゃんが産まれてから、必ず、誰かしらのお世話にならなければ
生きられないように
どんな人も、誰かしらのお世話にならなければ死ねないと言うことを
改めて学びました

叔父の部屋を片付けながら、私は、叔父の75年の人生を創造していました
そして、叔父と共に、その瞬間、その瞬間、お世話になった方々にお礼を
言っていました
自然とそんな気持ちになっていました

叔父さん、75年間、本当にご苦労さまでした
ご苦労も多かったかもしれませんが、
叔父さんの周りには、叔父さんを愛し、心配した多くの人がいたことを
感じることが出来ましたよ
それは、叔父さんが、多くの人達を愛し、心配したからでしょう
素晴らしい人生を送ってみえたんですね
叔父さんの思いが、そのまま形になるように
心を込めて後始末させていただきますね
ありがとうございました

                            アンマ

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20:44  |  光を感じた人たち  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2012.02.05 (Sun)

心の成長

みなさん こんにちは
日曜日をどうお過ごしですか?
2月のスリランカの朝は、まだ、涼しい風を運んでくれています
さあ、紅茶でもいれましょう

スリランカのみなさんは、朝、ベッドの中で紅茶を飲みたいと言うくらい
何にもする前に、紅茶を飲むんです

何度か、彼らと泊まりがけで出かけて、最初に驚いたのがそれでしたね(^^)

illust-rabbitcafe-2.jpg
さて、今、主人が仕事でお借りしているのは、
ちょっと大きめの普通のお宅なんですよ
オーナーは、精神科のドクターです
私は、去年、初めてお会いしたんですけど、
スリランカの年配の男性には珍しく、お腹が出ることもなく
小作りで、スレンダーな方で、話し方も温厚な方でした

彼は、3月の東北の津波の時、
即、私たちに電話をくれて、
レンタル料の半額を3カ月分募金したいと言ってきてくれたんです
もちろん、しっかり、募金のために送金させていただきました
私たちも驚いたけど、現地のみなさんの驚きは大きかったですね
「このスリランカで、いくらドクターでも
こんなことをお願いもしないのに
自分からするなんて((+_+))」
と、言う驚きのようでした

聞くと、ドクターは、今、ご自分の収入があるので、
このレンタル料は、毎月、そのまま、施設に寄付しているとのことでした
彼は、少し、離れたところに暮らしているので、
お借りしているこの家の管理を人に任せているんですけど、
その管理人さんが、毎月、お金を取りに来て
そのまま施設に届けるんだそうです

ドクター曰く、将来、リタイヤして収入が無くなったら、
このレンタル料で暮らさなければならないけど、
今は、大丈夫だから・・・・・とのことでした

日本には、精神科医の国際会議で行かれたことがあるそうですけど、
会議だけで、即、帰ってみえたそうなので、いつか、日本をご案内したいですね

illust-rabbitcafe-3.jpg

スリランカのご両親たちが、自分の子どもになってもらいたい職業は
ドクター・弁護士・技術者なんだそうです
どれも、スリランカにいながら高収入を得られるからなんだそうです

そして、
広い知識をもって、社会に貢献する人になってもらいたい
信仰をしっかり持ってもらいたい
親孝行な子どもになってもらいたい
と、続きます

高度成長期の日本と同じように
ものすごい勢いで変わっていこうとしているスリランカ
ドクターのように、心の豊かさを伴った成長を
スリランカのお子さんたちがしていくといいな~
なんて、ちょっと思ったアンマでした


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06:36  |  光を感じた人たち  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.02.03 (Fri)

ムスリムのスリランカ女性の心を救ったのは・・・

みなさん こんにちは
日本は、節分ですね

今日は、久しぶりにお茶でもいかがですかね

illust-hokkori3.jpg

この前、日本から友人が来ていたんですけど、
知り合いのマダムの家に呼ばれて、お邪魔したんです

そこには、マダムのお友達や姪御さんたちも来ていて
思いもかけず、ちょっとした井戸端会議になって・・・

そこに、後から40歳くらいの女性がみえてね
ちょっと暗い感じだったんですけど
理由はすぐにわかりました

45歳のご主人を癌で亡くされて間もなかったんです

お子さんのいないご夫妻だったけど、
とっても愛し合って、仲良く生活されていたみたい

会社を経営されていたご主人は、大きな家も残されていて
これからの生活に困ることは無いようでした

でも、しゃべりだすと涙しか出てこないようで・・・
彼女は、ムスリムの女性
マダムは仏教徒です

それでも、ひょんなことから知り合いになった彼女を
マダムはほっておけず
「あなたは、一人ではないと励ましてきたみたい」
「日本人の友達を招くので、来てみたら?」と、
声をかけていたようです

ティーカップillust-pan9

しばらく彼女の話しを聞いていた日本人の女性がね
「私も、あなたと同じ」と言いだしたんです
「私も主人を癌で亡くしたのよ」って

「私は、主人に頼りっきりでね
 たとえば、家の電球が切れると、電球を買ってはおくけど、
 主人が帰ってくるまで、取り付けないで待っていて
 だから、そんなこともやったこともなかったの」

「エ!私もそうです」ってムスリムの女性

「それから、買い物をして帰ってきて、マンション住まいだから
 エレベーターまで運んで、家に持っていってくれるのも主人だったわね
 車も免許は持ってたんだけど、運転は主人がしてくれたので
 私は、運転することもなかったの」

「私もです
 夫は、とっても強い人で、風邪一つ、熱もろくに出したこともなかったのに
 最初に、病気になったのが、癌でした」ってムスリムの女性が言うと

「あら~、私の主人もまったく同じよ」ですって・・・

「だから、あなたの気持が良~くわかるわ」って日本人

ムスリムの女性の顔が、だんだん、ほぐれていくのがわかりましたね

「私、子供はいるんですけどね、みんな、それぞれ独立して
 だから、今、私は、一人暮らしなんですよ
 泣くな!って言ったって、悲しいのだから、泣いていいですよ

 私も同じ時期に、悲しむことは悪いことじゃない って教えてもらってね

 しばらくして、主人が、最後に私にプレゼントしてくれたのが
 私が、自分で車を運転することだったと気がついて・・・

 主人を病院へ連れていったり、私自身がお見舞いに通うのに
 どうしても運転しなければならなくなってね

 亡くなった後に、運転をして外に出かけるようになって
 少しづつ元気になってきたのよ

 今日、こうやってスリランカに来れているのも主人のお陰様(^v^)」

「私も、今、運転免許を取り始めようと思ってました
 あなたを見ていると、信じられないくらい、いい笑顔です
 いつか、私も、あなたのように笑顔になりたい

 今日、あなたに会えたのは、神のご守護です」

ムスリムのスリランカ女性と仏教徒の日本人女性
英語と日本語の間に入りながら
こんな出会いがあるんだな~って思ってました

きっと多くの人に、励まされたり、心配されたり、アドバイスをもらったり
してきたであろうスリランカ女性は、たった一人、ことばも違う
20歳以上離れた、日本人女性に、これからの自分の生き方を
見ることが出来たのでしょう

私たちが、マダムの家を後にしてからも
彼女は、1時間以上、マダムと今夜の出会いに感謝して
話しをしていたと言います

国が違おうと、ことばが違おうと、信仰が違おうと
こんな風にお相手の思いに立てる人に出会うだけで
心が救われていくものなのだな~って

地球は一つですね         アンマ

illust-springhascome-5.jpg

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